戦いすんで日が暮れても

まもなく70代に突入するおばさんの本音

煮るなり焼くなり

次女が国際結婚して14年ほど、つまり日本を離れて14年くらい。

日本で知り合って交際、婿殿が帰国することになりプロポーズされた。

「ウチの母は父親の役割もして育ててくれた。だから母親が賛成してくれなければ‥幸せになれない。」みたいなことを言ったらしくアメリカ人が律儀に挨拶に来てくれた。


長女の時も私が言ったわけでもないのに同じようにしっかりと挨拶に来てくれたし、しばらく経って三女、四女と結婚する時もケジメをつけてくれた。


賛成も何も反対したところで私の旦那になるわけでもなく、心の中では「どんな男だ?」と思いつつもある意味、家族になるのだし余程のことがない限り見守るつもりの親心で接した。


ただ、次女の場合、国際結婚であり、異国に連れていかれるわけで簡単に会うこともままならなくなる。

で、この婿殿というのが日本で仕事していたと言っても期間が短く、英語だけで仕事が成り立つものだから全く日本語が話せない。

しゃあない、必死に知っている単語で言いたいことを初対面の彼に伝えた。

「娘は幼い時から妹たちの世話し、私を助け苦労してきた。どうしても幸せになってもらわなければならない。大切にしてくれるか?」みたいなことを‥。

彼は「よくわかった。彼女を守り大切する。日本語も覚える。」と大きな体に似合わず優しく微笑んだ。


それから入籍まで面倒なところを通り、無事、半年後、2人はアメリカへと行ってしまった。

それから2年ほど経って私が遊びがてら新婚さんを訪れる。確かに大切されているのだが‥クマさんはさらに巨大なクマになっていた。

それでも体重を気にしてるのか、体重を減らすサプリを飲み、そしてまた食べる。

一番気になるのが動くたびにため息をつく。

日本なら「あ〜あ。イヤになるなぁ。」みたいに感じるが自分の体を支えるのが苦しくて出るらしい。


はっきり言わせてもらう!太っていることは決して悪いことではない。でも頭を使いなさいな。

体で吸収した分、消化するという足し算と引き算ができればそこまでにはならないでしょうに。

アメリカに帰国してすっかりアメリカ人!あ、元々アメリカ人だった。


理想を語るならもう少しインテリジェンスが欲しい。何かに理由をつけて物を買うが子供のおもちゃと同じで数回遊んだら次の物を買う。消費社会アメリカだからか、ウチの婿殿だけなのか‥。

2年ほど前には胃の90%を切除した。病気ではない。食べ過ぎを防ぐために胃を小さくするのだそうだ。

コレが先進国か?


娘は私の考え方も知っているので

「精神的ストレスがあって‥。」とか言ってそんな婿殿をかばう。愛ゆえだね。この14年の間に何度か訪れているが確かに来るたび、家は大きくなる。モノに関しては豊かかもしれない。でもつくづく日本の我が家の狭さが恋しくなる。

いやいや、娘が幸せなら何も言うまい。

娘もアメリカ人になってきている。日本に帰りたがっていないだろうかと思うこともあったけれど、今回の滞在で「ここであなたは生きるのね。弱虫だったあなたが逞しくここで生きて子育てする姿を見て安心したよ。」と言ってやりたい。


ところで日本語を覚えると言っていたクマさんは案の定、高い教材も三日坊主。当然2人の孫も英語のみ。

いいんだ、いいんだよ。ここでしっかり生きなさい。

ただしクマさん、「煮るなり焼くなりお好きなように。」とは言わないよ。


何が起こるかわからない

今まで携わっていた仕事が一段落して新しいプロジェクトが8月から始まる。

そこまできっちり予定を組んでいたわけではなかったが6月いっぱいで落ち着くだろうということは、あらかじめ聞いていたので有給休暇も使って3週間の休みをもらった。

ドンピシャ、私が休みに入る2日くらい前から仕事も落ち着き安心してこちらに来ることができた。


2020年パンデミックが世界を襲った年。1月だったか、2月だったかすでに渡米に向けてチケットも購入し終えていた。

夫がテレビを見ながら「中国で起きているウィルス、ちょっとまずいみたいだよ。」と呟いた時も呑気に構えていた。あれよあれよというまに日本にもその波はやってきて国際線は元より国内線での移動もままならない状況になりアメリカの航空会社だったのですぐにキャンセル後、返金に応じるとメールが入った。がっ!その時は格安チケットのエ◯ト◯という代理店を使っての購入だったのでチャットで話しても埒があかず色々、調べた結果、全国旅行業協会というところがあり、相談に応じてくれることがわかった。早速電話をして航空会社は返金すると言っているのに代理店が応じない旨を話すとすぐにエ◯ト◯の落ち着いた、いかにも仕事できますタイプの男性から電話が入った。

‥迷惑をかけた。もちろんすぐではないが返金には応じられる。又はウェブサイトには出ていない良い条件のチケットもあるので相談に乗る‥と親切丁寧に話してくれる。ならばと2ヶ月先くらいのチケットに変更するつもりだ言うと「急がなくて構いません。多分、このパンデミックの状況はすぐ収まらないように思います‥。」とやんわり言ってきた。

まさかと思ったがその通りになって3年。

色々と考えさせられた3年だった。その間にワクチン会場のデータ管理のアルバイトもした。

自分の生きている間に世界的パンデミックを目の当たりにするなんて信じられなかった。

いやいや、楽天的すぎるぞと自分に言う。何が起こるかわからない。


とりあえずアメリカ、日本ともに出入国に際して規制がなくなった。いまだに日本では多くの人がマスクをしている。フライトアテンダントもマスク。

こちらに来るときのユナイテッド航空はノーマスク。

それぞれ考え方はあると思うがこの暑い夏にマスク‥私、いらないよー!

戸籍がないって?

自己紹介に「生まれた時から波瀾万丈」と書いたのでこのことは先に記しておこうか‥。

母から聞いたことも多く、今となっては彼女にとって都合の悪いことは多分隠されていただろうからどこまで真実なのか‥思い出すのは小学校入学前のこと。映像のように浮かぶ。


真夜中、酔ってグデングデンになった母が布団に入ってきて「バカッ!バカッ!」と言いながら泣き叫ぶ。何事かと思うけれど幼かった私は眠さには勝てず、さほど動揺せず再び眠りに落ちた。


小学校入学の案内が来ない‥不思議に思った母が町役場に問い合わせてびっくり!私の出生届が出されていなかった‥つまり私はこの世に存在していないということになる。

今、私は平気な顔してこともなげに言うが結構、恐ろしいことだよね。万が一、私がこの段階で事故に巻き込まれて死んだり、行方不明になっても何事もなかったことにならないか?

警察も動いてくれない?民法だか刑法だかわからないがどうなってたんだろう?

ま、最終的にはこの世に生を受けて7年後ようやく私は日本人としてのアイデンティティを得られた。

ところでなぜそんなことが起きたのか‥。

私は現行民法上の非嫡出子、俗に言うところの私生児だ。母からは父の名前を聞いたことがあるが、お腹にいる時に死んだとか、実家に戻った時に妊娠に気づいたとか云々聞かされた。私自身、大人になってきて世の中のことが色々わかってくると母の話に矛盾があっても追及することはなかった。

自分でも不思議なくらいどうでも良いと思って生きてきた‥つもりだ。


ところでなぜ私の出生届は出されなかったか‥。

母は里に戻り私を出産。実家には祖母、新婚ほやほやの叔父夫婦、独身の叔父と叔母、そして私の兄ととにかく大所帯。母は私と10歳違いの兄を実家に預け働きに出ていて私を妊娠、里に帰ったというよくあるようなないような立場だったらしい。

当然、祖母や叔母たちにしたら私は望まれる子ではなく、文盲の祖母に出生届を託したが実際は母に内緒で提出されなかったわけだ。


母はそんなことも知らず生後7ヶ月の私だけを連れ、兄をまた祖母たちに託して働きに出る。

そんな母が真夜中泣いたのにはもう一つの理由があった。

それは機会があれば‥。