戦いすんで日が暮れても

まもなく70代に突入するおばさんの本音

昔は昔、今は今

「出会った頃は本当に優しかったよね。」

と私が意味ありげに言う。

「昔は昔、今は今。」

ニヤリと夫が返す。

いつものパターン、笑ってしまう。


50代で再婚とは自分でも驚いた。夫に至っては独り身の寂しさを感じつつも気楽さを楽しんでいたのではないかと思う。

互いに自立した大人という思いはあった。2人でちょっとした山を登ったり、野山の草花をファインダー越しにどう見つめているのか、彼の視点を想像しながら共に過ごす時間がとても貴重だった。


出会いは私の作るホームページだ。今から20数年前、近所のコンビニオーナーから我が家に電話があった。四姉妹のうち次女と三女がバイトをしていた。そのオーナーからの電話。取り継ぐ次女が

「お母さん、ホームページのアドレスを1人のお客さんに教えてもいいかって聞いてるよ。」

当時、客の1人だった夫がオーナーから立ち話でMacでホームページを作ってる女性がいると聞いたらしい。

当時「Mac使い」というのはちょっとした意味合いがあってホームページを作り始めた人もそれほどいない頃だったので同じくマック党だった夫は興味がそそられたのだろう。

しばらくメールのやり取りを経て近所だということもあり、一緒に野山を歩く仲間にもなった。


長く生きていればそれぞれ傷つき傷つけた若い頃の経験もある。だからこそ喧嘩しながらも弱さを委ね、助け合えるのだと思う。


「ね、初めて会った場所、覚えてる?」と私。

「覚えてない。」案の定、彼の答え。


ほんとかどうか‥本当に覚えてないのだ、きっと。

いいよ、いいよ。

あなたらしくて。

小さき者

 1週間の仕事を終えて帰路につく。

思ったより遅くなって今、夜の8時過ぎ。バスの中。共に管理者として働くパートナーは29歳。私の歳の半分もない。

正社員として働いていた時期もあると思うが今は私と同じ非正規雇用。

仕事もよく頑張るし、性格もいい。

勿体無い…って言ってはいけないんだろう。でも十分、正規雇用してもらえるだけの働きをさせられて。重宝がられて。

彼に言わせると今まで働いた中で1番ストレスがないそうだ。よほど過酷な仕事をしてきたのか。


確かに正規雇用であればもっと収入も多いはずだが彼にとってはそれよりも大切なものがあるということか。


さて私は…歳の割には元気かもしれないがやはり頭もついていかない。すぐ集中力が落ちる。

いいのか?

管理者なんて引き受けなければもっと気楽にできただろうに。

でもきっと私には私の役割があるのかもしれない。

みんなが働きやすい居心地の良い場所になるようにこの小さき者が用いられますように。

戸籍がないって?part2

このブログを始めた頃、「戸籍がないって?」の最後に母が号泣した訳はいずれと締め括った。

その続き…

結局、私の入学案内が来ないことを不審に思った母は戸籍謄本を取り寄せる。そして私の出生届けが出されていないことを知る。ところが母にとってもっと辛い事実を知ることになる。

私には10歳上の兄がいる。と言っても母は生後7ヶ月の私だけを連れて家を出たので私が一緒に暮らしたわけではない。それでも母は

「お前のお兄ちゃんだよ。」と繰り返し繰り返し言うものだから子供心に特別な存在として兄を受け入れていたと思う。

ところが母は戸籍謄本からその兄が祖母の養子になっていることを知る。つまり戸籍上、兄は母の弟、私の叔父になっていた。

何でもありの昭和だねー。


母は祖母、叔父夫婦や叔母などなど大家族に兄を託し、家を出ているわけで…。兄はとにかくみんなから愛されていたし、父親の欄が空白の戸籍を心配した叔父たちが相談した上で養子縁組という道を選んだのだろう。

母が私だけを連れて家を出たのだって半端じゃない事情があったのだと推察される。

勿論、許されることではないし、母にしたら身を引き裂かれる思いだったのは容易に想像できる。

その後も深酒すると泣いて祖母たちを責めた。

でも1番納得していたのは兄だったと思う。母を恨みながらも理解をしているふりをしていたんだと思う。

結婚し、家庭を持ち、2人の子供の父親になった兄がお酒の勢いで母を罵倒したと従兄たちから聞いたことがある。

こうして母のことや兄のことを書いているとつくづく戦争の悲惨さを思う。

そうなんだ。家族を壊し人の心を壊す。

その辺りもいつか語りたい。